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white album2、とりあえず全部の√といくつかのデジタルノベルを見たぜ

小木曽雪菜の得体の知れないパワーによって物語がぐいぐい動いてく感じが良かったな

やっぱ小木曾雪菜と冬馬かずさの関係って羽川翼と戦場ヶ原ひたぎの関係性に似ているような

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↑こういうことについて考えていた

キャラやある程度のルールを前提としたとき、どのような物語が構築されるのかは創作者によっていくらでも変わり得る 作品として提供される②には属人性がある

儂はずっと属人性のないキャラクターがあればいいのに、と思っているので、①であり②でない他の世界の集合について考えてしまう

だから、ただ一つの世界だけでなくいくつかの可能性の世界を提供してくれるノベルゲームをプレイすると毎回「いいな」と思う 真のトゥルーエンドはこれです、みたいな段取りがされていなければなお良い キャラクターの物語についての俗人性が緩和されているように錯覚できるから

ゲームに対して「この√は気に入らない、この√のこのキャラは理解できない」みたいな感想を見るたびに自分のことを考えて勝手にいたたまれなくなる

ゲームのように現実世界の自分のいる世界のifがすぐ隣に示されて、外部から比較されたとしたら、今自分がここにいる世界は間違いなくハズレの世界に違いないだろうから 

自分の存在を前提として、その先の展開の可能性を客観的に比べた時に、側から見ればあり得ない選択を連発してきたに違いないから 

現実世界の隣には、もっと良いファインチューニングされた世界があるに違いなくて、そういう隣接する世界と比較してしまう視点自体にやるせなさを感じてしまう

感想を自分自身と切り離すことは儂にはどうしてもな抵抗がある 自分から発射される言葉とか感想が全部自分に跳ね返ってくるんじゃないかと思ってしまって思えない 人を呪わば穴二つってこういうことなのか