
論文提出したぜ
今回は前回よりは余裕もってできた気がする
連日発生する徹夜に対して身構えができていただけで、別に健康的な生活を送っていた訳ではない
ずっと部屋に引きこもってエナドリとコーヒーをローテ飲みしながら徹夜で実験を投げまくっていた
こんな生活続けてたら確実に早死にしてしまう なんとかせねば
研究室のボスら含めた研究者はめちゃくちゃ頭が良く、会話をすると自分の頭の悪さを如実に感じることができて良い
頭の良い人同士の議論って、自分のいるステージから一つ上の、より抽象的なレイヤーの上で行われているような気がする だから議論のスピードも早く、儂がなんとか議論を追って理解しようとしているうちにいつの間にか論文の種ができあがっている そうして「はい、じゃあこれを育ててね」と言われたとおりに種を育てるのが儂の役割で
彼らと対等に議論できるスタートラインに儂は全く立てていないと思う
「貴方の話は具体的すぎるのでもうすこし抽象的に話してください」みたいな台詞、森博嗣からしか聞いたことなかったけど頭の良い人はマジで言うんだなと実感した
キャラクターを描こうとするとき

ここから

ここくらいまではかなり楽しいが
そこから

これくらいにするまでが死ぬほどめんどくさい
このめんどくささを無視できるパワーが欲しい
なんか知らんが、また論文を書くことになっている
死ぬが
助けて
論文を書く作業って今言った絵の完成度を上げる作業に似てる気がする
ただただ面倒くさくて、終わらない
だけど完成させないと作品として認められない(絵は自己満足でしかないが)
もっと苦行を楽しめるよう狂っていかねば

部屋に引きこもって作業しながらAudibleで『安達としまむら』を聴き、作業に疲れたらぬるめたの新刊を読み進める
こんなに幸せな一日があるだろうか?
今が人生で一番幸せかもしれない いつ死んでも良い
**キャラクターを立体的に立ち上がらせることができる唯一のメディアは小説である**
これは小説の特徴、語りの線形性を考えれば当たり前なことなんだろうけど
漫画とか、ゲームとかには無いキャラクターの固有性がそこに表現されている、と強く感じる
キャラクターの固有性とはつまりそこにあるキャラ表現がすべて一つの人格を表している、そう感じられる、というような信念(?)のことで
ばらばらになった断片の記号が、たしかにすべて同じ一つの人格、キャラクターを指している、という感じ これが殊更メディアレベルで強調されるのが「語り」を持った小説で
なんか本当に百万人くらいが同じことを言っていそうなのでやめよう
百万人くらいが既に言っていそうなことって意外とみんな言ってないよな こういうのを常識とか教養とか言うのか

儂の想う理想のキャラクター表現が実現するのはいつになるのだろうか
まだ実現には程遠い、という印象がある
中国がそういう研究に結構力を入れてやってるらしいのは知っている 最近は原神作ってる会社がいい感じの研究やっててオッとなった 頑張ってほしい

最近出たdesktop mateは良い
こういうのをオタクの皆が作るようになって欲しいぜ

文章を出力しようとしてうまくできず、中途半端な状態で保存された下書きがたくさんある
自分の頭の中はいつもボンヤリとしている 何か物事を考えようとしても常に頭の中に霧がかかって出力することができない 曖昧なものを曖昧なまま出力しようとして書いた文章がしっくりこない そのしっくりこなさが怖くて途中で辞めてしまう 結果として何も形に残らない
頭の中のモヤを消す方法は多分わかっていて、とにかく無理矢理にでも出力して、それを評価して再出力する、を繰り返すしかない とりあえず出力しきって形になれば、それを自分なりに評価できるようになる 評価をすればより良い形に修正できる だから思考のプロトタイプをまず完成させなければならないのに、それをする勇気、あるいはやる気が自分には無い
不出来を厭わずに出力でき、評価のものさしが自分の中で確立している人はあっという間に成長していく 出力と評価を繰り返すことで常に具体的な完成物が手元に残るので、それが思考の土台になり少しずつ思考が洗練されクリアになっていく おそらく
インターネットに溢れている他人の出力はどれもクリアで刺激的だが、対して自分の脳内ではいつも霧がかかっている 霧を晴らすには、勇気を出して思考を止めず、出力を繰り返していくしかない 他人の出力を眺めているだけでは無理で、頭を自分のためだけに使わなければならない
とにかくやるしかない、ってだけの話なんだが

良い眺めじゃ