
面接を受けてる時のワシ、滑稽すぎる
面接で研究以外に話すことが無さすぎるので、プレイしたギャルゲや読んだ本のことを話してごまかしている
この前は面接官がTo Heartを知ってて嬉しかったぜ
">あるエッセイを読んでいて、ふと地元の公園にあった小さな祠のことを思い出していた
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儂が小学生だった頃、近所の公園の真ん中には弁財天を祀った小さな祠があった 高校生になる頃には取り壊されていたが、それまではよく公園を通り道として利用したので祠も目にしていた よく祠の前に、地元の小学生の仕業であろう給食の余り物が供えられて(捨てられて)いたのを覚えている
公園のど真ん中に水神である弁財天が祀られていたのには理由があって 昔(昭和初期くらいまで)、その場所が深い森に囲まれた池だったかららしい
その池には伝承があり、「その昔池には人食い妖怪の大鱸が住んでおり、池で釣りをして遊んでいた子供が大鱸に呑み込まれたところを近隣の住民が退治し救出した」という こういう眉唾話が創作されるくらいには不気味な雰囲気の池だったんだろう
その後(どの後?)、弁財天が祀られた後は、年に一回祭祀が行われるようになり、その際には出店もあり大勢の人々が集まったとか 儂が見た祠は小さな倉庫と間違えるくらい小さかったが昔はもっと立派な祠だったのだろう
そして土地開発が進んであたりの森が消え、池が消え、周囲が住宅街になった後も、祠だけは公園の中に残された ただしそれは本当に形式的な名残でしかなくて、妖怪の出そうな不気味な雰囲気の森や池がなくなった時点で殆どの信仰は失われていたんだと思う 儂が子供の頃には、その祠の由来を理解している人も殆どいなさそうだった
真面目に信仰していたのは、時折公園で遊ぶ子供を捕まえて説教をしていた、いつも公園を掃除して祠も管理していたあの老人くらいだったんじゃないだろうか その老人が亡くなって信仰が完全に失われて、それで祠が取り壊されたのかもしれない
そんなことを思い出しつつ地元の資料を調べていたら一日が終わっていた
調べてるときに、小学生の頃何故かその公園が「首つり公園」と呼ばれてた理由も分かった
昭和50年代頃、その祠近くにあった木で本当に首吊り自殺があったらしい 20年前の2chの書き込みで知りほんまか?と思っていたがもっと古いブログにも記載があったのでどうやら事実らしい この事件が儂の代まで伝承されてたのって地味にすごい
オカルトって、こういう事件に尾ひれがつきまくって大きな虚像としてできあがっているんだろうな
ちなみに、2chの書き込みによると祠で祀られているのは弁財天ではなく大鱸らしい これがいわゆる妖怪の祀り上げってヤツか…

たぶんネタバレ100%
・読み始めた瞬間頭の中で京アニっぽいアニメーション映像が流れ始めてきて凄すぎる 勝手にcv:平野綾でハルヒの声が聞こえてくるし京アニっぽいカットの映像が自動再生される 驚愕の時もそうだったけど、アニメ化せずとも勝手に脳内でアニメを見た自分になれる文章で良い
・ハルヒの性格は儂が読んでいた東方二次創作イメージの宇佐見蓮子に近いような気がする
・「夢を現に変えるのよ!」的な思想と地に足のついた実行力、そしてそれが本当に作用しうる環境、というシチュエーションが似てるのかも
・ハルヒ作品は語り手が一人で固定されているのが面白さであり不気味さでもあるんだよな 京極夏彦の妖怪シリーズで中禅寺秋彦が語り手にならないとか、東方で霊夢の視点で語られたことがないとか、そういうのと同じ作為を感じる
・マジで話が『ビューティフル・ドリーマー』じみてきている
・諸星あたると夢邪鬼がハリボテの舞台の上でくんずほぐれつするシーンみたいな描写がずっと続く この、小説の媒体だからこそできるなんでもありのカオス状態は生成AIっぽさすらある
・最近『ハルヒ』がソシャゲとかラノベの別作品とコラボしまくってるからそれの寓意も兼ねてるのかな、という気がしてきた。DMMの某エロソシャゲともコラボしていて見境なさすぎだろ、と思っていたが……
・あるいは大量に作られた二次創作作品に対する寓意なのか。昔の二次創作って世界観をガラっと変えたパロディがよく作られてた印象があるし 学パロとか。 だれかの用意した舞台でキャラがコピー、再生産される構造はレヴュースタァライトらしさもある
・あくまで寓話として捉えられるというだけで、安易なメタフィクションに頼らずハルヒたちのSF世界の中で解釈が完結してる、完結したまま物語を閉じようとしているのはめっちゃ良かった
・これ、アニメ化はしなくていいんだけどノベルゲー化してくれないかな ノベルゲーにしたらかなり面白い演出ができそう そしてエンドレスエイト並みに問題視されそう
・ハルヒの解説書で何度も読んだ量子論の話だ!!
・最初の章って2004年に書かれたやつだったのか。昔すぎるだろ
・ハルヒ達は劇場に囚われていたせいで長い間新刊が出なかった……って事か!?!?!?
・というか作中の時系列的には溜息の後なのか ハルヒの言動から勝手に二年生の話だと勘違いしてた 黒幕っぽい天蓋領域の名前が出てこなかったのはそういうことね
・脱出直前のハルヒの「悪巧みの相談は終わった?」ってセリフが、なんか祭りの終わり際っぽくて良いですね まあこのセリフが溜息の直後の彼女から出てくるか?とは思うが。
・あと気のせいか、だいぶ長門のジェスチャや言動に人間味が出ているような?驚愕まで読んだのが大分前のことなのでよく覚えてないが
・寓話云々の話は偶然なんだろうけど、そこも含めてカオスな状態から上手いこと着地したなという感じはある。20年熟成させたからこそ後半に凄みが出てる。いやおもしれー

異様に忙しい期間が終わりなんとか息ができるようになってきた
論文の実験は一部間に合わず周りにかなり迷惑をかけてしまったがしかし まあしょうがないよな元から無謀な作業量だったし、と開き直ることで何とか精神を保っている こういうやったことはまあしゃあないよなーと開き直ることで内省を終わらせるテクニックはわりと効果があり、今までの人生で頻繁に使っている
締め切り直前直後はプレッシャで吐瀉しまくっていたがもう喉元過ぎて全部忘れた 今ならもう一本論文が書けそうだ
その他色々と締め切りが重なって苦しんでいたのだが、周りの人間曰くむしろ今まで予定が無かったことの方が異常らしい
みんな信じられないくらい緻密なスケジュールを組んでいて、その上でさもこれが当たり前かのような涼しい顔をしていて怖かった 儂が社会に出荷されたとしてこうなれるような気がしないぜ
論文の提出が終わった翌日、久しぶりに外に出てブックオフに行った
最近は古本屋に寄ると短編・エッセイ系のアンソロジーが無いか探すようにしている 知らん人の作品を適当に買うとたいてい途中で飽きてしまうが、短編集なら短いし合わなければ別の人の作品を読めば良いのでかなり気楽だと気づいた
フィクション短編も良いがエッセイもなかなか面白い もともと他人のSNSやnoteブログを覗くのは好きだし、本は自分のアンテナの張り方ではたどり着けないタイプの人の文章が読めるので新鮮で面白いんじゃ

異常に忙しいんやが
10日で論文を書くタスクが急に発生して凄いことになってます、今
しかもまだ実験が終わってなく
なんなら実験の詳細も詰められておらず
英語で文章を書く必要があり
そして一から自分で書く必要がある、という無理ゲー
卒論締切直前にもう二度とこんな思いはしたくないと思ったのに、また同じ苦しみを味わっている
全部自分から言い始めたことなので自業自得でしかないんだが
勘弁してくれ
自分に言っています
他人事のように行為する自分とやれやれ系主人公を気取る自分が別々に存在している
あと、就活もする必要があるらしい(?)
適当な所に履歴書やエントリーシートを送っているけど、もし通ったとして面接で自分は何を喋るんだろう

東方を初めて知ったのは2009年くらいの頃だった
当時はカービィの個人ファンサイトに入り浸っていて、そこのお絵かき掲示板に挙げられていた東方ネタのイラストを見たのが初めてだったと思う
その時は萌え系(?)に一切興味がなかったのでそういう萌えのジャンルがあるんだ、くらいにしか覚えてなかった(当時親に「けいおん」を観ないか誘われて普通に断った記憶)
その後ニコ動を知り、東方関連の動画もたくさん見るようになった
MADとかPVとかを見て一通りのキャラを覚えたあたりでストーリーのある手描き動画を見るのにハマっていった
もうその時点で結構東方projectに対して関心を寄せていたのだが、自分が一番衝撃を受けた出来事はそそわにあったSSに触れた時で
有名なSSのPVがニコニコに上がってたのがきっかけで元のSSを読んだんだと思うが、自分にとって単なるキャラでしかなかったキャラクターが、後付けによってここまで立体的になるのか!!という衝撃があった
平面だったものが立体になった前と後では自分の目が変わったような錯覚を感じられて、なんだかキャラだけでなく世界がほんの少しだけ立体的になったような感動があった
それまでただの平面だったキャラに一気に厚みが生じるあの瞬間の衝撃が今でも忘れられていない
思えば今でもこの頃の経験を追い求めている節があって
平面だったキャラがグンと立体的になる瞬間を求めて自分はフィクション作品を消費しているところがある
アニメ作品に時間的ななめらかさを求めているのはまさにそれだと思う